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引き寄せの法則とバシャール情報。世界の真実、人生の真実を知ることにより、引き寄せの法則を正しく使いこなすことができます。引き寄せの法則の真実

カテゴリ:人生

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人生
空 舞い降りた神秘の暗号 よりさて、実際のところ明日はどこからやってくるのでしょう?もうすでに分かっている方もいやっしゃるはずですが、明日という状況は「この肉体..

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自己否定について。この文明では憎しみが愛の反対語だと思われていますが、それは愛の反対側ではあっても、反対語ではありません。真の愛の反対語は罪悪感です。私の言う罪..

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自分の夢に優先順位をつけるが、お湯私の言葉を聞いたグラビンが、ある時こう反論しました。彼は優れた芸術的な才能持つ人物です。「自分の夢に優先順位をつけるなというの..

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お話を聞いていたら、肩の荷が一気におりました!気分が軽くなったというか、目の前の霧がぱーっと晴れたみたいです。ただ。色々な厄介事は、依然として私を待ち受けている..

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「空」mana 明日はどこからやってくる?

空 舞い降りた神秘の暗号 より

さて、実際のところ明日はどこからやってくるのでしょう?もうすでに分かっている方も いやっしゃるはずですが、明日という状況は「この肉体細胞の中心」から出てきます。 中心の「真空」の部分からエネルギーとして、いのちとして生まれてくるのです。 そこは「空」です。よく考えてみると、明日という具体的なものはこの宇宙のどこにも 存在していません。要するに、今という瞬間からエネルギーが次々と生まれているだけの 状態に、ただ区切りをつけて明日と呼んでいるだけなのです。


未来というのは、まだ何も決まっていません。
私たちが体験したい、体験するはずだ!と心か考えていること、意図していることが、
毎瞬目の前に現れています。
明日のことをあれこれ考える必要はありません。
意識すべきことは今だけです。今日のこの日、さらに今この瞬間だけです。

明日があるとか、明日やろう・・・と考えていては、いつまでたってもできません。
明日になれば・・・来週になれば・・・1年後にはきっと・・・・
と、将来に期待した状態でいれば、将来の期待感を宇宙に発信することになり、
永遠に今という瞬間に体験することができないのです。


明日はありません。来週もありません。1年後もありません。
本当にそんなものは存在しません。
実際に存在するのは、この瞬間のみです。
瞬間が永遠に続くのです。
私たちは、未来を体験することはできません。

私たちが、全責任をもって、毎瞬、宇宙を創り出しています。
毎瞬望む現実だけを作り出せばいいんです。何度も言いますが明日ではありません。
今です。
今、幸せでないと、将来幸せになることなどありえません。
いらない観念は捨ててください。
頑張って、頑張って、少しずつ、一歩一歩、幸せに近づいていこう・・・・
という考え方では、一生幸せにはなれないのです。



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自己否定について。

自己否定について。
この文明では憎しみが愛の反対語だと思われていますが、それは愛の反対側ではあっても、反対語ではありません。真の愛の反対語は罪悪感です。
私の言う罪悪感とは、何かバランスが崩れたときに、それを直さなければいけないというところから来る自然な罪悪感ではなく、自分自身の存在そのものを否定するような罪悪感のことです。
どんなに小さな否定だとしても、です。

ほんの小さな罪悪感でも、その人格全体を抹殺することができます。
ちょうど、ほんの少量の毒でも人間1人を殺せてしまうように。
ですから、皆さんの恐れを自分から離してあげてください。
そして自分自身の肯定的な面を信頼し始めてください。
究極的な信頼、無限の信頼です。
究極的な信頼と言うと、たくさんの人がもうそこでこわばってしまいます。
なぜなら、究極的な信頼など、とても難しくてできないと思うからです。

よくこの世では、なんでも100%常に信頼することなどできないといいます。
たくさんの人たちが、いつでも必ず少しくらいは懐疑的になる、疑いが残るといいます。
でも私たちの方から皆さんを見ていると、皆さんは常に100%自分を信頼しています。
ほんの一瞬でも、皆さんは自分を信頼していないときはないのです。

みなさんの社会では「疑いとは信頼がないとき」という定義付けをしています。
でも、私たちから見ると「疑いは信頼の欠如ではない」のです。
私たちから見れば、皆さんの言う疑いは100%の信頼を否定的に見た時の言い方なのです。

人材を否定的に見る時に、否定的なものを取材した時が疑いなのですが、
みなさんは否定的な疑いが肯定的な信頼よりも力を持っていると思っています。皆さんは信頼100%肯定的なほうに置かないで、信頼を100%否定的なほうに置いているだけです。ですから、 100%信頼を始めてくださいと言う時に、皆さんが「またか」 、と感じる必要は無いのです。皆さんが今まで知らなかったことを学ばなければいけないと思う必要はありません。、やるき事は、たったこれだけなのです。否定的なほに置いていた信頼、現実を、肯定的な法に移せばいいだけです。

非常に簡単なことです。
非常にシンプルです。
非常に楽しいことです。

そして自分自身がまた、パワフルになることができます。
午前とつながることができます。
それによって自分が大きな創造の存在の一面だということを思い出すことができます。
自分に力がない、と思うこともなくなります。
すての創造物から自分が分離されている、と感じる必要もなくなります。

肯定的な感情のほうの焦点となるものは、1つの言葉や表せると思います。
エキサイトメント、 「ワクワクする」気持ちです。


優先順位の嘘

自分の夢に優先順位をつけるが、お湯私の言葉を聞いたグラビンが、ある時
こう反論しました。
彼は優れた芸術的な才能持つ人物です。
「自分の夢に優先順位をつけるなというのは、どういうことですか。写真家として有名になりたければ、他の意味よりもそっちの方優先するのが当然じゃないですか。演劇をやりたいとか、映画を作りたいとか、舞台の脚本や小説を書きたいとか、それは夢はいろいろありますよ。やれるなら全部やりたいです。でも僕の1番の夢は写真家として有名になることですから、他の夢を犠牲にして、写真家として専念しなきゃ、いつまでたっても一流の写真家にはならないと思いますが」

「 、それは違う。自分の夢は全部叶えるんだ」 。
と私は答えました。グラビンは一瞬言葉に詰まりました。
「でも、そんなこと、どうやってできるんですか。不可能です」
「ここで問題になっているのは、夢に優先順位をつけていることなんだ。演劇や映画作りや、書くことやアウトドアスポーツなどグラビという人物を作り上げているもの全てを犠牲にして写真に専念すると、いつまでたっても最後の方の順位にあるものを実践できないんじゃないかな。衣装、小説を書く時間は見つからないだろう。映画作りに必要な小さなステップを踏み出すこともないだろう。こうしたワクワクは脇に置いて、見向きもしないだろう。夢がほこりをかぶって、いつの間にか時間も気力もなくなってしまうのが普通だ」

優先順位はどこか無理があって、不自然です。経営学や一般の成功哲学では物事に優先順位をつけるように教えますが、人間の基本的なニーズである自己実現という面ではマイナスの効果しかありません。
優先順位の必要性を説く人たちは、自分にとって1番大事なことから順番に優先順位をつけ、リストの1番上から実践するようにと教えます。自分のニーズ、プロジェクト、欲望やワクワクに順番をつけろ、と言うわけです。
しかし、こういうやり方をすると、リストの最後まで実行する時間はまずありません。ところが、大抵の場合、リストの最後にあるのが1番楽しいことであり、心を満たしてくれることなのです。この点に問題があります。
ほとんどの人が仕事1番優先させます。そのくせ、夫婦関係や親子関係が悪くなったり、財政問題や健康問題が起きたり、毎日がつまらなくなって生きる意欲が無くなったりすると、どうしてだろうと悩みます。そういう人は優先順位をつけると言う誤った考えの犠牲者です。
ひとつのことをいつも優先させていると、必ず人生のバランスが崩れてきます。物事に優先順位をつける考え方は、人間がさまざまの要素からなる複合的な存在であることを忘れて、あたかも生産工場の機械の部品のように捉えています。
いつも優先順位に従って生きている、心の喜びが分からない人間になり、人生の重要な決断をする際に多面的に考える能力を失います。そのような状態ではその人にとってベストの選択は生まれないでしょう。
私が「ソース」のプログラムで、優先順位をつけることも害を解いたときに、参加者の1人、ブラットはこうして反論しました。
深い(家を建てるときには、まず土台を作ることを1番に来て、次に壁を作り、その次に一家の床を作るというように、 2,014きめるのではないですか」
それに対して私はこう答えました。
「物事を1つずつ順番に実行することと、優先順位をつける事は同じじゃない。家の建築を例に取ろう。土台を全てに優先するということは、例えば家を建てることや、整地、設計、建材の品質、予算などよりも土台を優先して考えることだ。だが、そんなことをしたら、まともな家は立たないだろう。土台も大事だが、今挙げた他の点も同じくらい大切だ。すてに同時に注意を払う必要があるんだ」
人生設計を考える時も、あらゆる要素を考慮する必要があります。ところが、大抵の人はこういうふうに考えます。
「僕にとって仕事が1番大事だ。来週は残業もあって、 60時間は仕事にとられると思うが、家族を養うためには仕方のないことだ。もし時間が余ったら、押入れから昔のギターを出してきて、音のチューニングをして、少し引いてみよう」
翌週の終わりになると、
「あー、今日も忙しくて、ギターどころじゃなかった。今週はとにかく忙しかったからなあ。来週にでも時間があったらやろうか」 。
ということになり、翌週も翌月も翌年も忙しくて、ギターを弾く時間は見つかりません。

優先順位の低いものはいつもリストの下にあって、なかなか実行できないのです。そうこうするうちに、仕事のストレスから抑うつ、無気力、不眠、頭痛などを訴える、いわゆる「燃え尽き症候群」に陥ってしまいます。夫婦間、恋人間、親子関の味噌も深まり、心身両面の健康にも問題が出てきたりします。

ソース  あなたの人生の源は、ワクワクすることにある  より

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待つことの本当の意味

今にある状態は、待つことに例えられます。イエスは例えの中で待つという行為を今にある事のシンボルに使っています。この場合の待つこととは、一般的な意味合いの、退屈な状態や、そわそわして落ち着かない状態とは違います。それらが、私はすでにご説明した、今の否定です。荷台に焦点を当て、今を、煩わしい障害物のようにみなすような待つことです。
この状態と対極に位置する待つことがあります。これは、完全な意識の集中を要します。 いつ、何が起こるとも知れないのですから、完全に目覚め、思考が静止していなければ、それを見過ごしてしまうのです。これがまさに、イエスの表現するところの待つことです。この状態では、意識は今に注がれています。空想を、思い出す、予測する、といった思考活動する余裕はありません。かといって、緊張しているわけでもなく、恐れもありません。精神的に澄まされた今にある状態なのです。全身が、細胞が、一つ残らず今にあるのです。
この状態では、過去と未来を背負った私は、ほとんど存在しません。しかし、その人本来の価値は、微塵も損なわれていないのです。本質は、そのまま生かされています。むしろ、より一層本当の自分に近づいたと言ってもいいくらいです。実は言うと、私たちが本当の自分でいられるのは今しかないのです。

イエスはこう言いました。 「主人の帰りを待つしもべのようでありなさい」。 しもべは.主人は何時に帰ってくるか知りません。主人の到着を見逃さないように、目覚め、周囲をして、襟を正し、じっとしていなければならないのです。

さらにイエスは、ランプの炎を燃やし続ける(今にあり続ける)のに、十分なオイルがなかったために、花婿を見逃してしまい、共演に行き損ねてしまった。 5人の迂闊な女性を、別の例えを用いています。この5人とは対照的なのが、オイルを十分に携えていた、 5人の賢い女性でした。

福音書を執筆した人たちも、イエスの例えの真意を理解していなかったため、誤解釈が入り混じっていました。その後も誤解釈が重ねられ、イエスが本来言わんとするメッセージは、完全に失われてしまったのです。世界終末説と、もっぱら解釈されている箇所は、実際は心理的時間の割についての記述なのです。世界がエゴ的思考から、新たなステージへと移行し、意識を刷新して生きる可能性を示唆しているのです。

今になると、万物の美が見えてくる

一人きりで美しい自然に囲まれているときに、瞬間的にですが、今にある状態を経験したことがあります

禅の僧侶たちは、瞬間的な無心状態を悟りと呼んでいます。これを経験したときには、素直に喜んでいいのです。きっと読者の中にも、瞬間的な悟りを幾度か体験していながら、その意味と重要性に、まだ気づいていない方もいらっしゃるでしょう。私前の美しさ、神聖さに気づくためには、今にあることが、必須条件なのです。

スッキリと空が澄みわたって夜に、広大無辺な宇宙を見上げて、その荘厳な静けさとはてしなさんに畏敬の念を抱いたことありませんか?山奥深くの渓流のせせらぎに心の底から耳を傾けたことありますか?静かな夏の夕暮れ時に、痛みのさえずりに効いた事ありますか?心がじっと静まっていなければ、自然の美しさに魅せられることがありません。これまで培ってきた知識はもちろん、過去と未来にまつわる問題を、しばらくの間脇にのけておく必要があるのです。さもないと、何かを見ていながら、本当は見ておらず、何かを聞いていながら、本当は聞いていないのです。本当に、モノを見て、聞くためには、完全に今にあることが不可欠なのです。

表面的な美しさの奥に、それを超越した、何かが存在します。それは、うちに秘められていて、筆舌に尽くしがたく、神聖で本質的なものです。本当の美しさに気付くときには、この内なる本質の輝きが、外殻を透過して見えてのです。私たちが今にある時だけ、万物は本当の姿を明かすのです。


さとりを開くと人生はシンプルで楽になる  より

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問題はすべて思考が作り出す妄想

お話を聞いていたら、肩の荷が一気におりました!気分が軽くなったというか、目の前の霧がぱーっと晴れたみたいです。ただ。色々な厄介事は、依然として私を待ち受けているんです。そうじゃないですか?意識が高まったといったって、決して問題が消えてなくなったわけじゃありません。これってただの一時凌ぎじゃないですか?

やれやれあなたはせっかく天国にいても、しばらくもしないうちに、心の中で「うわー、すごいや!いや、ちょっと待てよ」 、なんて言い出すでしょうね。私は、問題を片付けることについて、どうこう言ってるんじゃありません。 「問題なんて、鼻から存在しませんよ! 」と、言っているんです。実際に存在するのは今取り込まれるき人生の状況下、または取り組めるようになるまでは、あるがままに受け入れるしかない人生の状況なんです。問題というものは思考の産物であり、時間がなければ存在できません。問題など、今という現実の前にはシャボン玉のように消えてしまうんですから。

今認識を集中させて、今この瞬間、どんな問題があるか挙げてみて下さい。

答えがありませんね。それでいいのです。いまに完全に意識を集中させていれば、問題を抱えることなどできません。処理すき、受け入れるき状況は、確かにあるでしょう。でも、なんせ状況を問題に変えてしまうんでしょ?生きること自体が10分チャレンジではないですか?
どうして私たちは、なんでもかんでも問題にしてしまうんでしょ?その理由は、思考が無意識のうちに、問題を愛しているからです。なぜでしょう?それは思考に存在価値を与えるからです。これは人間にとってごく当たり前のことであると同時に、苦しみと不幸の根源なのです。問題を抱えているということ自体、意識が人選を状況にどっぷりとつかり、気づかないうちに、それが自分の1部になってしまってることを意味します。人生で遭遇する状況に圧倒される。あまり、本当の意味の人生を失ってしまっているのです。または、今できる、 1つのことに集中する代わりに、自分がこれからやるべき100のこと、と言う重荷を背負って、自分の心を押しつぶすているのです。

問題をこしらえるということは、すなわち、痛みをこしらえることです。私たちがとるきステップは、とても簡単な決断をすることだけです。 「どんなことが起きようと、私はもう二度と状況問題に変えて自分に痛みを与えない! 」こう決断することです。とても簡単に聞こえますが、天地がひっくり返るくらいドラスティックな改革です。痛みはもうこりごりや、心底感じていない人や、散々な目にあったと思っていない人は、その決断をしないかもしれません。そして、今のパワーにつながらなければ、この改革は実行できません。自分に傷を与えない人は、人にも痛みを与える事はありません。問題をこしらえるというネガティブなエネルギーで、美しい地球、人間の集合意識を汚染することもなくなります。

生死に関わるような、絶体絶命の危機に遭遇する、そのような危機ですら、問題というものではないと、はっきり分かるはずです。状況を問題に帰るという悠長なことをしている暇がないからです。非常時には思考活動はストップします。あなたは100%今にあり、とてつもなく偉大な力が主導権を握ります。これこそ、ごく普通の人が、極限状態に置かれる、信じられないような勇気のある行動をとり、いわゆる火事場の馬鹿力を発揮するという報告をよく見聞きする理由です。生きるか死ぬかの瀬戸際には、どちらに転ぶのか問題ではなくなります。

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